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八波一起のたっしゃでワイド!!
テレビ朝日のモーニングショウで12年!!ワイドショウの表も裏も知り尽くした八波一起が世間のニュースを一刀両断!! | ||
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プロフィール
Author:八波一起 最近の記事 最近のコメント
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きのうまでの三浦事件を書いている間に、イージス艦衝突事故での事情聴取に曖昧な部分があり、石破防衛相が辞任に追い込まれそうだ。 これは当然の話で、国防に関することで隠ぺいがあってはいけない。 それこそ先の対戦のことが全然反省されていないことになる。 このことはアメリカのマネを絶対にしてはいけない。 それから冬柴国交相も公明党内部からも「もっと国民の目線に立ってほしい」と注文をつけられた。 これも当たり前の話で、よく今まで道路財源がここまでいい加減だったにもかかわらず表に出てこなかったか呆れてしまう。 政治家全体の問題だ。 中国の毒入りギョーザの問題も中国は逆の主張をしているが、このままでは迷宮入りしてしまう。 臭いものに蓋をするようなことがあってはならない。 どの話題も、21世紀は本物の時代、しっかりとしたけじめをつけて次へ進まなければ必ず痛いしっぺ返しがあることを覚えておくことだ。 きょうは2月29日、4年に1度のうるう年の1日。 この日がある年はオリンピックがある。 中国はこのオリンピックを成功させるためにも事件解決に全力を挙げて欲しい。 さて、今年はいつもの年より1日多い。 これは自分の提案なのだが、4年に1度のこの日は神様が与えた特別な日だ。 地球のために世界中が何かする日にしてはどうだろう。 普通に1日多かった年で終わらせずに世界各地が地球のために何かをするのだ。 日本もこの日は休日にして、1日中電気を使わない日(当然電気を切れないものは別)にするとか、国民全員が奉仕活動をするとか、もう一度地球を考え直す1日にするといい。 4年に1度なら出来るだろう。 そこから個人個人が地球のために何が出来るかを常に考え始めてくれれば大成功だ。 世界各地から報告がきて、アメリカは停戦して相手と話し合う日にするとか、ヨーロッパはいっさい乗り物に乗らずに1日を過ごしたとか、自分たちが出来ることをもう一度見直し新たに考え直す日にしよう。 きょうは神様が「4年に1度だけ与えてくれた特別な日」だと認識するといいのではないか。 今年は日本で洞爺湖サミットがある。 そこで提案してみてはいかがなものか。 21世紀の本物の時代、サミットでは温暖化の話題が多く占めるだろう。 その席で声を大にして2月29日は世界中が「地球のために何かする日」を提案して、4年後から始めるようにしてほしいものだ。 ここまで言うのだから自分も何かしなければいけないと思い、これから献血に行くことにする。 合掌
「三浦和義サイパンで逮捕」のニュースが出てからずっと、各メディアはこの話題を取り上げている。 20年以上も前の事件を知っている人がどの位いるだろう。 このニュースを続編として見ているのは、当時どっぷり主婦をしていた人たちだろう。 おそらく、50歳以上の方たちは、前編を覚えていて見ている筈だが、それ以下の人たちは前編を知らないで後編を見せられているというわけだ。 今、この話題を伝えているワイドショーのディレクターたちも、この事件を知らないだろう。 今頃、定年間近で窓際になった先輩たちが脚光を浴びているに違いない。 その人たちは、ここぞとばかり「そんなことも知らねぇのかぁ」と得意になっているはずだ。 こういう時に限って、この事件を良く知らないくせに自分が中心に取材をしていたと言い張る人間が出て来る。 お葬式のインタビューで、あまり付き合いがなかったくせに良く知っているように答えている芸能人のようなものだ。 20数年前の三浦事件は、誰が何と言おうとテレ朝のモーニングショーが抜きんでていた。 三浦逮捕劇の瞬間、同じ車に乗っていたのはモーニングショーのディレクターだった。 そのディレクターはホテルで三浦に手記も書かせていた。 他のマスコミは地団駄を踏んだ。 色々な問題はあったのだが、当時は各局を出し抜きスクープを取る事を勲章とする兵(つわもの)のディレクターがいた。 今は各局が一緒にぶら下りインタビューを取るので何処を見ても同じコメントばかり流れる。 その方が楽だし問題も起こらない。 しかしマスコミの人間として、それでは何か物足りないと思う人は多い。 時代が進むにつれ、より安全により仲良くというマスコミの考えには苦言を呈したい。 今回の逮捕劇もサイパン・ロスに飛んだマスコミはどのくらいいただろう。 労を惜しんだらマスコミは終わりだ。 常にスクープを狙うくらいの心がけで取材をして欲しいものだ。 我々の先輩は、田舎で事件が起きた時、いち早く現場の駅に降り、3台しかいなかったタクシーを全部貸切にして現場に向かったそうだ。 後から来る者に乗り物を与えないのだ。 その間にとっとと取材を済ませスクープを取ったと自慢していた。 そんな武勇伝を持つディレクターはもういないのか… 今回の報道合戦でスクープが出るのか見物である。 合掌
自分は今まで沢山の人を見て来たが、三浦和義という人物は本当につかみきれない人物だった。 長いことテレビの仕事をやっていると、沢山の人に出会い・沢山の人の話を聞くことが出来る。 良い所・悪い所・語り方・表情など色々な対応の仕方が勉強できる。 「人間はこんな時・こんな事を考えるのか」と疑似体験が出来るのだ。 そういう経験を経てくると心理学を学んできたのと同じような人を見抜く力が出てくる。 自慢をしているのではなく、多くの人に出会えば出会うほど見えてくるものがあるのだ。 そんな仕事につけた運命に感謝しつつ話を進めるが、今までに三浦和義容疑者ほど何を考えているのか分からない人物はいなかった。 どんな人でもウソをつく時必ずどこかにほころびがでる。 分かりやすい例を言えば不倫している芸能人が「不倫なんかしていません」と言いながら目が泳いだりしている。 今や生まれた時からテレビを見ている人からほとんどなので、その人の態度や表情を見ればウソを言っているかすぐ分かる。 口ではしていませんと言ってもテレビは全てを映し出すので、隠すことは出来ない。 モーニングショーをやっている時、三浦容疑者はリポーターのインタビューを受けるだけでなく、スタジオに登場して生放送の中で我々の質問に答えた。 どんな質問をしても彼は「ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う。」オウムの上佑氏よりも前に三浦容疑者はよくしゃべっていた。 ところが、彼の表情の中を見抜くことは出来なかった。 ということは、本当にやっていないか、やっていてもやっていない自分になれるのかどちらかだ。 結局彼は無罪を勝ち取りやっていないということになった。 マスコミの中で三浦容疑者に訴えられ敗訴した者は数多くいた。 誰もが彼を疑わしいと思って書いたり、放送してしまったので名誉毀損で訴えられる隙を作ってしまった。 日本中の誰もが疑いの目を持っていても彼は平気だった。 最高裁の答えが無罪で一件落着したように見えた。 自分も彼がどんな人物か、見抜くことが出来なかった。 14年間モーニングショーの生放送をやっていて、もう一人つかみきれない人物がいた。 その男も疑いの目でインタビューするマスコミに平気な顔でインタビューを受けた。 スタジオにも何食わぬ顔で出演し、疑惑を強く否定した。 自分も一度は、その表情に「この人はやっていない」と思ってしまったほどである。 この、三浦容疑者と同じようにつかみどころがなく分からなかった人物がオウム真理教の麻原彰晃だった。 一方は死刑の判決が出ている中で、一方は無罪という判決を国民はどう受け止めたのだろうか… 長くなるので、この続きは明日書くことにする。 合掌
きのうのワイドショーのトップはどの局も三浦和義容疑者逮捕の話題だった。 1981年ロサンゼルスで起きた銃撃事件で三浦容疑者の妻・一美さんが撃たれ、その後死亡した。 妻を何者かに銃撃され、自らも足を撃たれながらも涙して妻を想う三浦容疑者の姿に人々は同情した。 それが週間文春の「疑惑の銃弾」として取り上げられ、当時のワイドショーは三浦容疑者にインタビューを求めた。 疑いをもたれた本人がテレビの前で答える姿は、視聴者に衝撃を与えた。 今は殺人事件や問題があった場合、本人のインタビューを撮っておくというのが常套手段だ。 しかし、疑わしい人は、ほとんどインタビューを拒む。 それはそうだ、ウソをついていることがバレてしまうからだ。 どんな人でもウソをつく時には普通にしていることが出来ず、どこか変な態度が出てしまう。 近いところでは秋田の畠山鈴香が子どもを殺害した事件だ。 沢山のメディアのインタビューを受けた。 テレビ局は「この女性が犯人だ」と思いながらインタビューしていた。 そして、「いつ逮捕されるのか」と思いながら、その時を待つ。 「×デーはいつか」などの文字が躍り遂にその時が来る。 テレビ局は何度も以前撮ったインタビューを流す。 テレビを見ていた人も「やっぱりね」で落着するのだ。 畠山鈴香の時も誰もが「この人が犯人」だと思っていた。 鈴香は饒舌だった。 しかも話している内容が二転三転する。 質問が矢継ぎ早にくると、タジタジになり、ほころびが出てしまう。 ならばインタビューなど受けなければいいのにと誰もが思ってしまう。 三浦容疑者の場合もそうだった。 しかし、彼はそのほころびを出さなかった。 逮捕される時、モーニングショーのディレクターが三浦の車に同乗していて、逮捕される瞬間を内側から撮るという前代未聞のことが起きた。 三浦容疑者はもし本当に一美さんを殺したなら、希代のウソつきになる。 一美さんの母は「娘の敵をとってやりたいとずっと思っていた。 やっとアメリカが動いてくれた」と話したそうだ。 三浦容疑者には「顔を見るのも嫌だが、本当の事を言ってもらいたい」と語った。 これだけ日本のメディアでも大きく取り上げられるということは、やはり誰もが納得していなかったのではないだろうか。 日本では最高裁で無罪が確定している事件なので、この先どうなるかが注目される。 合掌
きのう、ニッポン放送の地下にあるイマジンスタジオでやっていた芝居「サヌカイト」が無事終了した。 予想以上の入りでチケットのない回もあった。 感性が問われる芝居なので、感性の強い人は涙する人もいた。 この芝居の話があったとき、目に浮かんだことがそのまま舞台になった。 とても嬉しかった。 自分は「今回の芝居は伝説の芝居になる」と言ったが、まんざらウソではないと思う。 二回目・三回目と回を重ねるごとに成長していくことだろう。 ただし、音響効果マンの南二郎さんがいらしての話だ。 今、ラジオ局は南さんのような人を育てる気がなく、ラジオドラマも作る気はないようだ。 なぜならお金がかかってしまうからだ。 昔、音響効果マンは1つの音を見つけるのに大変な思いと時間がかかった。 しかし今はそこに行って録音してくればいいのだ。 そしてそれをライブに入れておけばいつでも誰でも使える。 音響効果マンが必要なくなってしまったということだ。 ところが今回の芝居で、そうではないことがわかった。 録音して撮ってきた音は決まっていてひとつなのだ。 しかし舞台では、役者の声や体調によって微妙に音の強さ響きを変える必要があると、出演者は感じた。 南さんの出す音は、擬音なのだが生きている舞台では本物の音になり、録音して撮ってきた音は本物なのだが生きていない偽物だったのだ。 感性を大いに必要とする舞台には感性のない音は舞台をダメにすることを学ばせてもらった。 「音は演技する。演技しない音は単なる雑音である!!」と名言を残し、南さんは北海道へ帰っていった。 このブログを見て舞台を観に来て下さった方々に心より感謝致します。 さて、きょうのワイドショーは三浦和義「疑惑の銃弾」の話題でもちきりだ。 20数年前モーニングショーをやっていたとき、三浦和義容疑者に直接インタビューしたことが目に浮かんできた。 あしたこのことを書くことにする。 合掌
いよいよ舞台サヌカイトが初日を迎えた。 準備から数えると一年近くかかっている。 稽古に入ってから1カ月を越える。 きょう、ニッポン放送の地下にあるイマジンスタジオに入った。 ラジオブースを舞台にするので本当に映画のラジオの時間を舞台化したようで楽しい芝居になりそうだ。 きょうのイマジンスタジオの稽古で初めて分かったのだが、住職役で出演している生井健夫さんは78歳、ベースを担当している金井英人さんは76歳、そして有馬稲子さんがいて、音響効果の南二郎さんが73歳だ。 なんと70代の舞台マンが4人も集まった芝居なのだ。 今の70代の方々は本当に元気だ。 今回の芝居は、この4人の方々がいないと本当に成立しない。 三日間ではあるが冬ということもあるので大事にしてほしい。 ニッポン放送のイマジンスタジオは平らなスタジオに客席を作るので残念ながら前に座る人が大きい人だったら後ろに行けばいく程見えにくくなる。 しかし、芝居を聴いて音を観る芝居なので、目をつぶって音だけを聴いていると、まさに心の目で映像が見えてくる。 音響効果マンの南さんの作り出す音は見ていて飽きない。 今回は、波の音・鳥の声・蛙の声・風の音・火の音・フクロウの声に朝食の音と、どんな道具を使い、どのように音を出すのかを見るだけで5,000円は安い。 きのうは舞台装置のセティングをして、今までやってきた稽古場での稽古との尺の違いや転換の早さなどをチェックした。 きょうの2時からゲネプロと言って本番と同じように通し稽古をする。 一時間半の芝居なので、三時半に終わってからダメだったところを稽古し直して本番を迎える。 昼の部のチケットは完売したようだ。 夜の部は、まだ若干空きがあるので見たい方はお早めにどうぞ。 ラジオドラマが動き出す芝居を是非見ておいて下さい。 それでは、これから初日に行って来ます。 また来週。 合掌
きのうのサッカー東アジア選手権2008の日本対中国の試合は、1対0で勝った。 しかし、後味の悪い試合だった。 完全アウェーの状態だった日本なのだが、我慢に我慢を重ねて勝利した。 中国人はもう少し考えなければいけない時にきている。 あまりにも露骨にファウルをしていた。 ところが審判のジャッジは中国よりのものばかりで、中東の笛と何ら変わらないようだった。 にもかかわらず、日本の選手は我慢をして大人の対応をしていた。 中国は反日教育をしていたので、日本に対して悪いイメージを持っているようだ。 だから発煙筒をたいたりして何をしても日本に勝ちたいという姿勢が見えた。 この試合を見た日本人は中国人を憎んだのではないだろうか。 そして中国人は日本が勝ったことにより、更に日本に対する憎悪の念が生まれたはずだ。 今、中国と日本の関係はとても良くない。 貿易はアメリカを抜いて1位 になり、ますます中国との連携が必要なのだが、何か違和感がある。 中国ギョウザのメタミポドス混入の問題でも、日本人が悪いと思っている中国人が多い。 サッカーもギョウザもあまりにも理不尽だ。 日本人からすれば、百歩譲って対応しているのに、中国人には全く通じていない。 逆に日本に対するライバル心から憎しみになっているようだ。 このままでは日本人に「中国人をつぶせ!!」という感情が生まれてしまう。 中国も「日本人つぶし」になっているようだ。 日本に来ている中国人は沢山いる。 その人たちは本当に日本人を憎んでいるのだろうか。 日本人は残留孤児にやさしい対応をしてくれた中国人には心の広さを感じていた。 何とか両国の感情を冷やし、大人の対応をできるようにしなければ戦争までいってしまうのではないか。 21世紀の本物の時代に中国はまだまだ偽物が氾濫している。 中国は社会主義の国だ。 早く、良いものは良い、悪いものは悪いとバランスのとれた判断ができるような教育をしなければならない。 隣の国なのだから仲良くしていかなければ未来はない。 そのためには、日本国民全員がサッカーの日本イレブンのようにかなりの我慢が必要だ。 合掌
いよいよ「サヌカイト」が本番モード全開だ。 有馬稲子さんはさすが大女優、セリフまわしと滑舌が素晴らしい。 参加してまだ2日だが、若い人たちとのコミュニケーションも出来つつある。 稽古もあと2日。 細かい転換のタイミングなどまだまだ問題点は多少あるものの本番に向けて全員が一つになってきた。 あした、いよいよ有楽町にあるニッポン放送の地下スタジオの舞台に入る。 こうなると早く本番を迎えたいものだ。 乞うご期待!! さて、今年はエルニーニョの影響で寒い冬になっているようだ。 こんな冬は、熱燗で一杯といきたいところだ。 きのう目黒で稽古を終えて、自宅まで歩いて帰った。 目黒通りを一直線に歩くと50分くらいで我が家に到着する。 目黒の稽古場には歩いて通うことがしばしばだ。 寒風が吹きすさぶ目黒通りを黙々と歩いていると、目黒郵便局あたりに一軒の屋台が出ていた。 白い割烹着を身につけ、頭には白い頭巾、まさに昔のおかあさんの格好をした70歳くらいのおばちゃんが寒そうに客の注文に応じていた。 一度は通り過ぎたのだが、おばちゃんの姿が頭にこびりついてしまい、Uターンして熱燗を頼んだ。 おばちゃんいわく、熱燗は50℃で上燗が45℃、ぬる燗は40℃だそうだ。 ラーメンとおでんを売りにしている屋台で、隣に同じ年くらいの男性が一足早く桜色になっていた。 どうやらその男性は、息子が上智大に合格したらしく、すこぶるご機嫌だった。 おばちゃんからコップに入った熱燗をもらって、隣の男性に「おめでとうございます」と言って口をつけた。 それから話が盛り上り、楽しいひとときを過ごさせてもらった。 三人の話は教育論に終始した。 その中でおばちゃんのテンションが上がったのは、小学生の子どもと一緒に中央分離帯のガードレールを乗り越えてきた30代のお母さんの話だった。 「勉強もいいけど、まずモラルや礼儀を教えるべきだ」と言うおばちゃんの話に中年男性二人は「そのとおり」と頷いた。 さらにおばちゃんは「頭のいい子に育てるには、お母さんが頭が良くなくてはダメね」と言った。 お父さん二人は渋々頷くしかなかった。 確かに男は家にいない。 お母さんの教育が子どもを左右する。 そんなおばちゃんの息子は、一人は京大で、もう一人は東工大を出たそうだ。 屋台を引いて40年、子は親の背中を見て育つと言うが、立派な息子だ。 熱燗におでんで700円だったが千円出して「つりはいらねぇよ」と寅さん口調で屋台を後にした。 合掌
このところ、宮崎の東国原知事(50)と大阪の橋本知事(38)が一緒の席に登場することがある。 橋本知事は、東国原知事を先生のように敬っているようだ。 宮崎県は東国原知事になってから宮崎県産の牛肉やマンゴー・地鶏が大きく売り上げを伸ばしている。 東国原効果は計り知れないものがある。 若い頃、ワルサをして干されたり、奥さんに三行半を突きつけられ追い出されたりした。 憂う(うれう)という字があるが、彼は若気の至りから憂うことを学んだ。 人が憂うと「優」となり、「まさる」とか「すぐれる」ということになる。 だから、知事になっても腰が低く、ある時は強く出ても、ある時は馬鹿になれる。 その硬軟両様の態度ができる所が強い。 家族も失い、今の彼には私利私欲がないのが大きな力になっている。 50にして天命を知ったという事か。 それにひきかえ、一回り年下の橋本知事はまだ青い。 NHKとのやりとりなどは、両者とも驕り高ぶりが前面に出ていて同じ狢(むじな)だった。 どちらも「俺が出してやるんだ」「俺が出てやるんだ」と自分ばかりを主張する。 確かに、NHKの横柄な態度は頭にくるだろう。 しかし、同じ土俵に立たなくても生番組なのだから相手をへこまし、自分の言いたいことを言えたはずだ。 橋本知事には、軟らかさ、腰の低さがない。 何度も憂う経験をして、人の痛みを分かるようにならなければダメだ。 彼の言動には人の痛みが感じられず、己の主張ばかりが表に出る。 そこのところを自らが悟らなければ長くはもたないだろう。 人の上に立つためには「優人になる」ことだ。 大阪には忠臣蔵に出てくる天野屋利兵衛という商人がいる。 日頃は腰を低くして柔軟に商売していても、正しいと思ったことには上からどんな圧力がかかっても信念を曲げずに筋を通す。 「天野屋利兵衛は男でござる」の名セリフを大阪府民は大好きなはずだ。 打たれても打たれても自分を下にして大阪のために我慢する姿を見せてほしい。 そして大きな権力を振りかざしてくることがあっても大阪を守るためには「橋本徹は男でござる」と筋を通せばいい。 大阪府民はそんな知事を待っとるのとちゃうやろか… 合掌
きのう、22日から始まる「サヌカイト」という芝居の稽古に、ニッポン放送の音響効果マンだった南二郎さんが北海道からやってこられた。 白髪の紳士で哲学者のようなしまった顔立ちをしている。 「サヌカイト」は芝居を聴いて音を観るというサブタイトルがついている。 生でラジオドラマと芝居をドッキングさせようという試みだ。 先月から始まっていた稽古では、「ここで南さんの波の音が入ります」とか「ここで南さんの鳥の声が入ります」と想像しながら口合図でやっていた。 ところが、きのうの稽古では挨拶もそこそこに南さんは我々の通し稽古に加わった。 赤貝の殻をこすり合わせて出す蛙の鳴き声で一同は度肝を抜かれた。 南さんが出す音から本当に蛙が見えたのだ。 犬の鳴き声、鳥のさえずり、波の音、南さんは口や道具を使って次から次へとマジックのように音を出していく。 南さんの出す音は、まさに聞くのではなく観るのだ。 南さんが音を出すたびに、どのようにして音を出すのかが気になって、役者のセリフを聞き逃してしまう。 だから、目をつぶって音だけを聞いているほうが芝居が見えてくる。 その道一筋にやってきた人というのはこうも違うのかと頭が下がる。 南さんの出す音にはカエルも一匹ではなく、年を取ったカエルや若いカエルなど色々なカエルが見えてくる。 今回の舞台の成功を確信した瞬間だった。 本来、舞台の主役は俳優がやるものと相場は決まっていた。 ところが、この舞台には有馬稲子さんはもちろん主役なのだが、裏方の主役がもう一人いたのだ。 こういう芝居は感性を一番育まなければいけない子どもたちに見てもらいたい。 この芝居は伝説になるかもよ!と言ったが本当になりそうだ。 自分は老人ホームの園長の役をやらせてもらっているが、セリフの中にこの前書いた「眼聴耳視(げんちょうじし)」を入れさせてもらった。 物の本質を知るためには、眼で聴いて耳で視なさいという禅の教えがこの芝居にあるからだ。 今日から有馬さんも参加される。 自分は「とびっきりしずおか!」出演のため稽古は休むが、火曜日にどんな形になっているのか楽しみで仕方がない。 合掌
今朝のスーパーモーニングでロザンナ二男(29)の大麻事件以来、人前に出ることがなかったロザンナが釈明の記者会見を行なった。 母の涙をどう受け止めるのか、あとは息子が心を入れ替えなければ「人生が終わる」と思うべきだ。 二男が子どもの頃、自分がインタビューしていたビデオも放送されていたが、少なからず彼の人生を見てきた者として心より改心してもらいたい。 その後、放送されていた岩手で千年以上続く奇祭「蘇民祭」。 不快なポスターと言われ、そのモデルだった佐藤真治さんのインタビューが流れた。 ヒゲ面・胸毛・大男の風貌(ふうぼう)なので「お前らいい加減にしろ!!」とくるかと思ったら、温厚な語り口に驚いた。 今年はポスターの件もあり、祭りの裏方に回った佐藤さんは「騒動に関係なく、今年も来年も、これからも粛々と祭りに参加したい」と語った。 なんと人間が出来ているのだろう。 どこかの府知事に聞かせてやりたいコメントだ。 この祭りは、一週間前から食事も制限し、身を清め、雪のちらつく川の中で水ごりをし、煙にいぶされ、辛い修業を経た後に「無病息災」「五穀豊穣」の「蘇民袋」を取り合う神聖な儀式だ。 見世物ではなく、町や村人のために神に向かって行ってきた祭りなのだ。 周りの人間がとやかく言えるものではないのだが、佐藤さんは怒りを前面に出さず裏方に回り淡々と自分の出来ることをしていた。 人のために何かができる人は、やはり違う。 何でも「俺が俺が」としゃしゃり出る府知事は爪の垢を煎じて飲まなければいけない。 さて、私事ですが、来週金曜日から始まるサヌカイト。 出演者が言うのもなんだが、とても面白くなりそうだ。 芝居を聴いて音を観る、というタイトルにふさわしい舞台になってきた。 生涯一効果マンの南二郎さんは日曜から有馬稲子さんと一緒に参加する。 南さんの水の音・火の音・鳥の声をどう出すのかを聞くだけでも観る価値はある。 更に生音楽にはベース奏者の金井英人さんも加わり、演技の要所要所にベースの音が響き舞台を盛り上げる。 ニッポン放送の地下でやるのは最初で最後かもしれないので伝説の舞台と呼ばれる予感がする。 伝説の舞台を見たい人は、03−3556−1155 まで電話すべし!! 合掌
今朝起きると、娘がバレンタインのチョコレートをプレゼントしてくれた。 昔は段ボール箱一がいっぱいになるくらいチョコレートを貰ったものだったが、今年は娘のものを含めても2・3個程度だ。 悲しいような、嬉しいような。 なぜ嬉しいかというと、ホワイトデーのお返しが3倍返しと聞いたからだ。 もし、5,000円もするような義理チョコを貰ったら、15,000円のものを返さなければならないのだ。 貧乏オヤジにはそんな金はない。 オヤジにとってはバレンタインデーは必要ない…。 さて、先日静岡でロケ中にドライブインへ行った。 朝9時頃だったのだが、早朝ドライバーの人たちが食事をしていた。 皆、つかの間の休息だったのだろう丼飯を嬉しそうに食べていた。 ところが、その何人の人たちが食事をしながら、お酒を飲んでいた。 店の中にも「運転をされる方にはお酒をお出しすることは出来ません」と書かれてあった。 まさか、その人たちは運転しないだろうと思っていた。 しかし、食事を終えた後、サッと車に乗りドライブインを出て行った。 今でも少しぐらいならと、飲酒運転している人が沢山いるようだ。 道交法が改正されても、自分だけは大丈夫と思っている人たちが大勢いるのだ。 その中の一人が民主党の若手ホープの顔だった柿沢未途(37)都議会議員だった。 彼は、雪の降る日に酒気帯び運転をしていて事故を起こし、警察が来るまでの間、雪を食べて飲酒をごまかそうとしたのだ。 人の上に立たなければならない政治を司る議員がその程度の認識しかないところが呆れてしまう。 「自分だけは大丈夫」とか「ちょっとぐらいなら」はダメなのだ。 何度このブログで言ってきたか。 本当の馬鹿者だ!! お酒を飲んだら運転してはいけない事ぐらい子どもでも分かっている。 分かっているのにやらないということは、分かっていないことと一緒だ。 理解をしたのなら「心を変える」ことをしないと絶対に直らない。 ちょっと友人や先輩の誘惑があったら「ちょっとだけ」と飲んでしまうのだ。 人間の心は弱い。 事故を起してしまってから分かっても後の祭りだ。 悪い事は言わないので飲むのだったら運転をしないことだ。 柿沢議員は頭を丸め、しばらくは早朝から街の掃除をするなり、ボランティアをして、心を入れ変えることだ。 お酒はうまい!! しかし、心を入れ変えろ!! 合掌
井上康生(29)がフランス国際で敗れた。 おそらく北京オリンピックに行けたとしても、このままでは金メダルを取ることはできないだろう。 1月22日のこのブログに書いたとおり井上の頭の中は迷っている。 金メダルを取るために、武道の神髄である心・善・美を貫き通して、美しく一本をとって勝つことにこだわるのか。 それともがむしゃらに、ラグビーのタックルのような技を出してでも勝ちにこだわるのか。 井上の頭の中は前者が9割を占めているのではないだろうか。 練習では多彩な技を見せても、実戦では内股一辺倒になってしまう。 相手に読まれてしまっていては、返り討ちにされるだけだ。 初めは読まれていても内股で勝てていたのだが、その精度が年とともに落ちてきてしまったという事だ。 前にも書いたように、それでも内股で勝てるには、神の域に行かなければ金メダルは取れない。 今回「つらい思いをさせる前に引退させてやったほうが良かった」と同情の声があがったようだ。 しかし、それは違う。 神が与えた試練と思って、耐え忍ぶことだ。 幸い敗戦の次の日に開かれた国際合宿に姿を見せた。 前向きに姿勢がうかがえるうちは、まだまだいける。 北京へのチャンスは、終わったわけではない。 がむしゃら戦法で行くのも一つの手だ。 北京オリンピックで金メダルを取りたかったら、それで行くしかない。 そうでなくて武道の神髄をいきたいのなら、その次のオリンピックを見据えてもいいのではないだろうか。 踏まれても踏まれても己の道を極めるほうが、井上康生には似合っているかもしれない。 弓道に得意淡然・失意泰然という言葉がある。 失意のどん底にいても、泰然自若としているのがいい。 どんな時にも自分を見失うことなく、己の信じた道を突き進む姿が尊いのだ。 自分の大好きな言葉「正しい信念に誠を尽くす」。 その道を生涯にわたって貫き通した時、神は降りてくる。 井上康生は多くの武道家の中でも、新渡戸稲造の『武士道』を勉強している数少ない若者だ。 目先にとらわれることなく、今があるから未来があることを忘れないで欲しい。 彼の生き様は自分の命ある限り見届けたいと思う今日この頃だ。 合掌
「郷に入っては郷に従え」という諺がある。 今や世界が近くなったので、外国の文化や風習もしっかり勉強していかなければ国際問題になりかねない。 日本の常識を相手に押し付けると痛い目にあうだろう。 ところが、強い権力を持った者が自分の理屈を押し付けて、それを通してしまうことがある。 例えばアメリカの「核」の持ち込みだったり、牛肉の問題もそうだろう。 そして、朝青龍の問題にしても、結局ウヤムヤになってしまった。 郷に入っても力を持てば従わなくてもいいという事なのだろうか。 2月8・9・10日の3日間、秋田県の男鹿市の真山神社で「なまはげ柴灯(せど)まつり」が行なわれた。 祭りでは、なまはげが太鼓演奏や踊りを披露した。 中でも午後7時過ぎから行なわれる、たいまつを持ったなまはげが「ウォー」「悪いはいねが〜」と雄たけびを上げながら雪山から降りてくる場面が最高潮だ。 昔からなまはげに扮する人は、神の使いで人をいさめるために暴れ回る。 子どもは泣き出し、大人でもその迫力に体がすくむ。 ところが今年のこの祭りには、昨年末になまはげに扮した男が女性浴場に乱入した騒動があったので、なまはげ一人ずつに警備員が同行した。 これではなまはげがいくら迫力のある雄たけびを上げても、その横に警備員がいたのではどっちらけだ。 秋田の人が言っていたのだが、昔から女性に少しくらい触ったりするのは当たり前だったそうだ。 女性浴場にも入ったことはあると聞いた。 問題にした人は訴えを取り下げたので事件にはならなかったのだが、祭りではある種のセクハラは覚悟したほうがいいのではないだろうか。 先日も岩手の祭りのポスター卑猥だと言って使われなかった。 今まで地元で行なわれてきた行事はそれが当たり前で、他所から行った人がとやかく言うのはいかがなものか。 とかく人間は自分の意見を押し通そうとするところがある。 本当に犯罪になってしまうものは改めなければならないのだが、昔からある文化や伝統・風習といったものはバランスを取りながら郷に入っては郷に従う方がいい。 やる側は神事だということを忘れてはならないし、見る側はお邪魔している事を肝に銘ずるべきだ。 合掌
今、国会は衆院と参院の与党と野党の数が逆転していて、ねじれ国会と言われている。 色々な法案も簡単に決まらない。 今までは自民党が長い間政権を担当していたので問題は起こらなかった。 その代わりに政管が癒着してしまい、今、色々な無駄が暴かれている。 アメリカの大統領選を見ていると、共和党と民主党が二大政党で争っているが分かりやすいし、時々政権が交代して癒着など出来ないようになっている。 この際、日本も衆・参院を一緒にしてはいかがなものか。 議員の数も多すぎるし、ムダを減らしてスリム化した方がいいようだ。 自民党は次期衆院選候補者調整で、岐阜1区の公認を郵政復党組の野田聖子元郵政相(47)にすることになった。 前回公認だった佐藤ゆかり衆院議員(46)は、東京5区の公認として転出させるようだ。 東京5区は我が家の選挙区で目黒・世田谷区が地盤になる。 我が家の二女も20歳になったので4票もある大票田だ。 この選挙区は、自民と民主が交互にとっていて、前回は自民の小杉隆衆院議員が勝った。 ところが奥さんの金銭問題で公認を取り下げ佐藤さんの出馬になったのだ。 しかし、佐藤さんは前回岐阜で出馬し、やっと岐阜のことが分かってきたのに今度は東京5区だ。 これから東京5区の勉強をするのだろうが、地方区なんてどうでもいいのだ。 小池百合子氏だって兵庫6区だったのに郵政造反組の刺客として東京10区に移った。 別にその地方区に精通していなくても問題はないと言う事だ。 逆に精通しすぎると、やれ道路を作れとか橋を作らなければとなってしまう。 小さな日本なのだから、日本というレベルで政治をつかさどる院を作った方がいいのではないだろうか。 そうするとバンソウコウを貼っている議員は地盤が無くなるのだから落選してしまうかもしれない。 地方区は各都道府県の知事がやればいいのではないか。 知事は地元が大事なので必死に必要な道路や公共施設を作ってもらうようにアピールする。 全国で選ばれた議員は、しがらみに関係なくバランスを取って優先順位を決められる。 そこまでやらなければ本当の政治は出来ないのではないだろうか。 更に首相公選までいけば、日本の政治は民衆のものになると思うのだが… 合掌
大相撲時津風部屋の序の口力士、斎藤俊(たかし)さん当時(17)、しこ名、時太山(ときたいざん)が稽古場で死亡した事件で、前時津風親方・本名山本順一容疑者(57)と兄弟子3人が逮捕された。 斎藤さんが亡くなった昨年6月から、7ヶ月が過ぎてやっと傷害致死事件として立件された。 しかし、いまだに山本容疑者は「暴行の支持はしていない」と話し、暴行ではなく「あくまで稽古だった」と言っているようだ。 逮捕された3人の兄弟子のうち、2人の兄弟子は親方の指示で制裁の意味があったと認めているようだ。 おそらく、相撲界の中では制裁と稽古は紙一重の部屋がかなりあるはずで、相撲界の中ではこのような出来事は日常茶飯だったのだろう。 北の湖理事長はじめ、相撲協会の態度が煮え切らないので、逮捕がここまで延びてしまった。 相撲界の常識は世間の非常識という事が沢山ある。 今回の「かわいがり」や八百長問題・金銭的な問題でも相撲界だけの常識がある。 力士がタニマチにご馳走してもらったり、お小遣いを貰って「ごっちゃんです」は相撲界では常識で、力士は封筒の厚さでいくら入っているか分かるという。 再選された北の湖理事長は本物の時代だというのに改革をする気はないみたいだ。 朝青龍の問題でも、あのままウヤムヤになってしまうのでは本当の解決にはならない。 相撲部屋の改革についても、稽古のやり方を検討する前に、親方の品格の向上が先だろう。 若い頃から相撲づけで、他の世界を見たこともない親方がほとんどだろう。 親方は父親の変わりもやらなければならないのだから、他の世界の勉強も沢山しなければだめだ。 力士を強くすることばかりでなく、一人の人間として素晴らしい人格に育てなければならない。 そのためには己を磨くことだ。 相撲協会では、一度廃業した人は親方になることは出来ないらしい。 本当は、舞の海や旭道山のような人が親方になって力士を育てれば相撲界も変わるのではないだろうか。 まだまだ危ない相撲界に明日はあるのか… 今回の逮捕を機に真剣に改革しなければ国技相撲は無くなる。 合掌
「眼聴耳視」という言葉をご存知だろうか。 眼で聴いて耳で視(み)ると書く。 「何ボケた事言ってるんだ!目は見るもので、耳は聞くものだろう」と言う声が聞こえてきそうだ。 「眼聴耳視」とは、物の本質を知るためには「眼で聴いて耳で視なさい」という深い禅の教えだ。 眼で聴くというのは、たとえば明るく元気な人を見ると「幸せそうだなぁ〜」と思ってしまう。 ところが親の介護をしていたり、失恋したばかりかもしれない。 心の叫びを聴けなければ本当の姿は分からないということだ。 耳で視るということをたとえるなら、洗い物をしているお母さんは赤ちゃんの泣き声を聞いただけで、オッパイを欲しいのか、オムツを替えて欲しいのかが目に浮かんでくる。 これが眼聴耳視なのだ。 これを体得するには多くの経験と知識などが必要だ。 中でも一番大切なのは「感性」である。 感性のない人には眼で聴いて耳で視る事は出来ない。 開いている花と蕾の花を見て、「開いている方は高音を歌っていて、蕾の方は低音を歌っているように聞こえる」という子と「開いている方は寒いよ〜と叫んでいて、蕾の方はじっと我慢しているように聞こえる」と眼で聴いた子がいたが、子どもの感性は本当に素晴らしい。 そんな感性を駆使して、ニュースを見ていたら色んな声が聞こえてきた。 きょうから販売を再開した「赤福」のピンクの箱を見て耳を澄ませたら、「これからは謙虚になり買っていただく人に感謝の気持ちを忘れるな」と先人の声が聞こえてきた。 スーパーチューズデーのアメリカ選挙では、ヒラリークリントンの涙する姿を見ていたら「これで票が増えるわ」と聞こえてしまった。 そして、中国の冷凍ギョーザで記者会見をする中国の高官からは「お前たちが無理矢理問題を大きくしているんだろう」と聞こえてしまうのは自分だけだろうか。 人間は大人になるにしたがって子どものような純粋な感性がなくなってくる。 ついつい、知識や経験が邪魔をして、先入観を持った眼で聴いてしまう。 そんなところから国と国との些細ないさかいから戦争になっていってしまうのだろうか。 本当はもっと違う声が聴こえてくるのかもしれないのだが… いつまでも純粋な、心の眼と耳を持つことは出来ないのだろうか。 合掌
きょうのブログは筆がとても重かった。 ロザンナとは20年近くなる付き合いだ。 しかも家族ぐるみの付き合いなので、今回の事件はとても残念で悲しい出来事だった。 月曜日、静岡に向かう途中、ロザンナの二男来門(らいもん)が大麻所持で逮捕のニュースが入ってきた。 29歳にもなって大麻をやっていたというのは、若気のいたりなど通用しない愚かな行為だ。 本物の時代「ならぬものはならぬ!!」 どんな言い訳も通用しない、あってはならない行いだった。 おおいに反省しなければならない。 ロザンナとの出会いは、モーニングショーの「われら愛家族」というコーナーに夫婦で出演してもらった時からだ。 その後、ヒデさんはガンに侵され若くしてこの世を去った。 小さな子どもたちが残されたロザンな一家の葬儀は多くの人の涙を誘った。 葬儀の時「われら愛家族」のテープを持参し参列したことを、きのうのように覚えている。 まさか、その年の春からロザンナと一緒にモーニングショーをやるとは思わなかった。 当時の来門は、明るい性格でとても優しい子どもだった。 自分も同じように芸能人の二世で、父が早く他界していたのでロザンナ一家の気持ちは良く分かっていた。 母子家庭では悲しいかな男の子は羽目を外しがちだ。 なぜなら、母は懸命に働き、目が行き届かなくなる。 実は自分も中学の頃、恐喝などで二度ほど家庭裁判所に送られたことがある。 他の仲間は父親が引き取りに来るのだが、我が家だけが母親だった。 その涙する母の姿を見て自分は改心した。 来門は昨年離婚し、愛息と離れ離れになった。 ミュージシャンとしての活動も思うように行かないこともあったろう。 しかし、29歳は母親が引き取りに来る年齢ではない。 いい加減自分の道は自分が切り開かなければならない。 今度のことは心から反省し、全身全霊を持って罪を償い、しっかりとした「けじめ」をつけなければ浮かぶ瀬はない。 身内と思うから強い事を言うのだ。 本当にこのようなブログを書きたくはなかった。 しかし、自分の都合のいい事だけを書き、都合の悪い事には目をつぶるでは、生き様が嘘になる。 ロザンナは今年、芸能生活40周年のお祝いの年だ。 その年の「立春」の日に事件は発覚した。 来門は母の血涙を、どう受け止めるのだろうか。 けっして甘えることなく、心を入れ替えなければ、天国の父ヒデさんも泣かせることになる。 合掌
今月22.23.24日の三日間、有楽町にあるニッポン放送のB1に客席わ作り、「サヌカイト」という芝居をやる。 「サヌカイト」とは、世界で香川県だけで産出する自然石のことで、「讃岐の岩」の意味から「サヌカイト」と名付けられた。 地元では「カンカン石」と呼ばれ、原石のままでも叩くと神秘的な美しい音が出る。 今度の芝居は、この「サヌカイト」を香川県から持ち込み、芝居でも演奏する。 ラジオ局の地下のスタジオに客席を作るため、100席程しか用意できない。 ただ、ラジオのスタジオを使うので、「ラジオの時間」という映画があったが、それを芝居にしたような今までにない舞台になりそうだ。 ラジオ局の音響効果マンが舞台の横にいて、鳥の声や波の音などを芝居に合わせて音を出すところが圧巻だ。 ある時はラジオドラマ、ある時は芝居、ある時は映像と、見に来る人は感性を駆使して見なければならない。 チラシにも「芝居を聴いて音を観る」と書かれてあるが、心の中にある感性で見なければ物語が一つにならないかもしれない。 自分は子育てで一番大切なことは「感性を育てること」だと思っている。 感性を持っていれば、人の痛みが分かる。 感性のある子は、親を殺したりしない。 親は子の感性を育てることをおろそかにしてはならない。 そういう意味からしても、この芝居は子どもたちに見せたい芝居だ。 3日間で席が一回100席程しかないので多くの人に見ていただけないのが残念だ。 サヌカイトで作った石琴は、とても美しい音がするのだが、聞きようによっては地球の叫びにも聞こえる。 自然の石を掘り出してきて、台の上にテグス(釣り糸)を引いて、その上に置いて叩くのだ。 音を出すだけなら簡単なのだが、演奏するとなると大変で、ドレミファソラシドの石を見つけるのは大変だっただろう。 その音を聞くだけでも価値があるが、その上プロの効果マンが波の音や鳥の声をどうやって出すのかを見られるのだから5,000円は安い。 共演は有馬稲子さんを始めベテラン.若手でおおくりする。 ちなみに自分は老人ホームの園長役をやる。 讃岐弁を話さなければならないので少々プレッシャーはあるが楽しみだ。 チケットのお問い合わせは、プロダクション・タンク 03−3556−1155までどうぞ!! 合掌
今日は「立春」、二十四節気の一。 この日が起点「春立つ」日なので、運気も何もきょうから始まる。 運勢など良く分からない自分だが、昨年の自分は「種まきの年」で、今年の自分は「収穫の年」らしい。 それもこれも、立春から一年が始まるのだ。 数年前までは、年の始まりは一月一日の元旦で「一年の計は元旦にあり」と、厳かな気持ちで元旦を迎え、一年で一番大切な日と思っていた。 今の人たちは節分で豆まきをしたり、彼岸のお墓参りやゆず湯・菖蒲湯などの季節ごとの習慣を重んじなくなっている。 自分も、最近やっと大切に思えるようになったので、「最近の若い者は」などと決して言えない立場にある。 きのうの節分は、あちこちで豆まきが行なわれた。 関東地方は大雪だったので、普段より人出は少なかったようだ。 しかし、神事はやめるわけにはいかない。 元旦なら少々天気が悪くても、御参り行く人は多い。 それに比べ、節分・立春に御参りに行く人は少ない。 行こうと思っている人でも天気が悪いと、「足元が悪いし、寒いからやめよう」と、ついつい思ってしまう。 立春を大切な日と思っていない証拠だ。 最近の自分は、「こんな大雪の時だからこそ、神事は大切にしなければならない」と思えるようになった。 人間は苦しい時や辛い時ほど本当の姿が見えてくる。 気持ちのいい天気で、豆まきで何かもらえるなんていうと行く気になる。 ところが、寒い・めんどくさい・疲れるが頭をよぎると中止してしまう。 心の中に神様や宗教観を持たなければ、何があっても実行しようとはしないものだ。 神様はそうやって人間を試しているのかもしれない。 おそらく、天変地異は神様からの忠告だろう。 我が家のマンションは6階なので、東京タワーも見える眺望だ。 そこからあたり一面、真っ白な東京を見て「今年は人間にとって、とても大切な年ですよ」と神様が教えて下さっているように思えて仕方がなかった。 温暖化問題など人類にとって真剣に考えなければならない年がきょうから始まった。 一番大切な一年の始まりの日に、自分が地球のためにできる事を、労を惜しまずやることを誓った。 合掌
中国製ギョーザなどを食べた後に中毒を訴えた人が490人を超した。 20世紀の物質文明から、21世紀は精神文明に入った。 そう言われてから7年が経った。 精神文明とは、一人ひとりが正しい精神を持ち「本物」にならなければならない「本物の時代」ということだ。 偽物は全て暴かれ、「本物」だけが残っていかなければ地球は終わってしまう。 毎年のように「偽」が暴かれてきているので自分の言っている事が分かってもらえるだろう。 きのうの続きになるが、日本の農業について書くことにする。 中国産の野菜がスーパーなどに並び出してから何年になるのだろう。 今、輸入量に占める中国産の割合は(2006年)シイタケ99.6%、ホウレンソウ68.3%、ネギ99.9%など今や中国産の物が無ければ日本の食卓はまかなえない。 日本の自給率が39%なのに比べて、イタリア71%、ドイツ91%、アメリカ119%、フランス130%、オーストラリア230%と先進国では最低水準だ。 中国は何十億もの人がいて、この先ズゥーッと野菜が供給される保障はない。 昨年、静岡の富士宮で農業をやっている佐野さんと誉富士という酒米を一年間かけて作った。 富士宮では大きい農家の方に入る佐野さんだが、生活するのは大変なようだ。 農家の後を継ぐ若い人はいない。 生活出来ないのだから当然だ。 これは国の無策に他ならない。 ある時は米を作らないのにお金を渡してみたり、減反で米を作りたくても作らせなかったり、農家の声を全くといっていい位無視してきた。 政治家は「そんな事はない」と言うかもしれないが、数字に出ているのだからしょうがない。 100−39=61 子どもでも分かる引き算だ。 外国から物が入って来ない事を考えないのだろうか。 外国からの輸入が出来なくなったら、足りない61はどうするのだろうか。 小麦やトウモロコシの値段が上がっているが、パンは小麦が無ければ作れない訳ではない。 米の粉でもパンは出来る。 日本の主食である米を農家の人には出来る限り作ってもらえばいい。 米があれば何とか生きていける。 その米も余ればパンやせんべい、あるいは米からエタノールを作るなど色々と考えられるはずだ。 日本人は農耕民族だから、我慢していけば自給率80%くらいなら生きていける。 せめて日本の自給率80%を目標に一大農業改革をやる時に来ている。 小沢さんは農業重視の話をしだしたが、自民でも民主でもいいから農業を優先順位のトップに上げてほしい。 人間は食べなければ生きていけない事を忘れてはならない。 合掌
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